東方の海

サブカル考察など。

2回目の『君の名は。』を観てきました。(まだ小説版は読んでいないので、考察が誤っている可能性はなおさら大いにあります。)


まず、前の記事で疑問点を挙げましたが、いずれも解決がみられましたので後述します。


0.災害について(導入)

 本作では、彗星が災害としても描かれます。これについて、最初に言いたいことを言っておきます。『シン・ゴジラ』が震災被害を彷彿とさせるというのを呟いたら、部外者が震災震災言ってるんじゃないよ(要約)という意見をもらったのですが、これについて書いておきます。

 『シン・ゴジラ』の震災イメージは、当事者が見た震災のイメージというよりはむしろ、東京の人が報道を通して間接的に見た震災のイメージという感じだと思います。

 ゴジラというとSFなので私にとっては現実感はなく(つまり私は映画の中に完全に没入しているわけではなかったことになるのですが)、画面の中で起こっている遠い世界の災害を見ていました。建物の倒壊や津波を目の当たりにしていない私には、現実感を伴わずどこかでどんどん人が死んでいく、という間接的な精神ダメージがむしろ心に刺さるものでした。人が簡単に死んでいくが自分は何もできないという状況は、震災で感じた無力感を思い起こさせるのに十分でした。

 私のように、直接ダメージを受けていないのに精神的にダメージを受けた人へ伝えたい。部外者が云々とかいう言説は気にしないでください。東京にいても、直接被害を受けていなくても、私たちは震災の被害者です。無理に忘れようとする必要はありません。


1.彗星と災害

 本作の年代的なキーワードが、「17」という数字です。

 三葉が入れ替わりを体験するのは「17」歳です。当時、一葉は82歳、四葉は9歳です。全てが終わり、三葉が瀧と再会する8年後、ツインテールの四葉が「17」歳です。17歳は高校2年生で、アニメの主人公としてはちょうどよい年齢です。8年後に四葉が17歳になるのは、そうなるように四葉の年齢を決めているとしても不思議ではありません。

 17はフェルマー素数であり、素数ゼミでも有名で、ミステリアスな数として受け取れます。これは1200年周期のティアマト彗星というのと通じるところがあります。

 また、2016年1月、”赤い彗星”と呼ばれる東福岡高校が全国高校サッカー選手権大会で”17”年ぶりに優勝しています。これはさすがに偶然でしょうが、これも何かの縁なのでしょうか。

 テレビや新聞に出てきた1984年(うろ覚えなので違うかもしれません)から17年後は2001年、アメリカ同時多発テロの年です。作中の彗星災害は、東日本大震災というよりもこちらのイメージの方が合っていると思います。また、その次の17年後は2018年で、本作の制作が行われた2015年の3年後で、現在の時間軸とマッチしています。

ちなみに、この1984年という年が小説の『1984』『1Q84』と関係があるかはわかりませんが、何かあってもおかしくはなさそうです。


2.「繭五郎の大火」について

 200年前、草履屋の風呂場から出火したとされています。この時に宮水神社の舞や御神体についての資料、そして宮水神社自体が失われてしまい、神社は再建され、御神体は無事でした。

 大火というのが200年後にも伝わっているのは、そのときにひどい山火事になり、大規模な避難があったと推測されます。その経験を活かして、三葉たちが通う高校が高台に作られ、非常設備が備え付けられたと考えられます。

 大火については、御神体に向かうときに瀧も聞いていました。それを聞いていたからこそ、瀧たちは変電所などを爆破して山火事に見せかけて避難させる計画を思いつくのです。

 また、御神体が現在の位置にある理由もこの大火で消えた資料の中ということですが、これも後々に生きてくるでしょう。

 それ以外でもこの伏線は回収されているとは思いますが、以上でも十分伏線回収になっていると思います。


3.結(むすび)が何を繋いだか

瀧は三葉の生まれを見てしまいます。ここから、「結」が過去に遡れることがわかります。交わる、切れる、戻る、別れる、そしてまた繋がる。それが「結」であると言うならば、「結」の力でそれらの現象が起こりえます。

 交わるとは瀧と三葉などの入れ替わりでしょう。

 切れるとは何か。この物語、ずっと繋がっているように見えて、実は切れています。それは、三葉が彗星の落下を見てしまったシーンです。ここで三葉は死ぬ直前まで見てしまっています。

 では「戻る」とは何か。死ぬ直前に「結」の力で引き戻された三葉は、御神体の前で口噛み酒を飲んだ瀧に繋がります。ここで、三葉は死んでいない時間帯に「戻る」ことになります。三葉はだいぶ日が経った瀧と入れ替わります。ここで、彗星で死亡した世界はなくなっています。山頂のシーンの片割れ時、三葉と瀧が同じ時間帯で再会を果たしています。そして、またそれぞれの時間帯に戻され、三葉から見た8年後にまた二人は「繋がる」、そして結ばれます。山頂のシーン以降は、三葉が死んだ世界は存在しません。

 これらはつまり、彗星で三葉が死ぬ世界と、彗星で三葉が死なない世界の二つが存在することを示しています。よって「結」は、瀧と三葉の二人を結んだだけでなく、未来が異なる二つの世界を一時的に存在させ、切り貼りして結んだことになります。そのときに使われたエネルギーとして考えられるのは、三葉が死ぬ世界で500人以上が死んだ霊的なエネルギーと、瀧と三葉の間の記憶くらいしかないでしょう。

 500人以上が死んだ霊的なエネルギーに関しては、高山ラーメン店のおじさんが「お前の糸守の絵、あれは良かった」と言っているシーンで、表に出てはいませんが故郷の人を皆失った悲しみが確かに感じられることからも、糸守生還者の思いの強さが底知れないことがわかります。これが奇跡を起こすのに一役買ったとすれば、救いがあるのではないでしょうか。

 瀧と三葉の間の記憶に関しては、世界が切り替わると、二人は互いの名前を忘れ、関係する記憶のほとんどを失ってしまいました。これは、世界を切り替える際に整合性を持たせるという目的もありますが、奇跡の代償としてもよく描かれるものです。


4.幽世(かくりよ)から帰るのに何を失ったか

 一葉は、御神体のあるところを「幽世(かくりよ)」と呼び、「此岸」に帰るには一番大切なものを置いていかなければならないと言っていました。瀧が三葉として口噛み酒を置いていったときは、三葉と四葉の二人は「体の半分」として口噛み酒を置いていきました。一葉は何も置いていきませんでした。

 実は、作中で口噛み酒を作った時の舞は、四葉が初めて舞う舞であることが、さやちんが四葉を初めて見るようなセリフからわかります。この時一葉は上座で瞑想していました。それまでは一葉が口噛み酒を作っていた可能性があり、そうすると昨年の儀式では一葉も口噛み酒を置いて帰っていたと考えられます。今年は一葉は口噛み酒を作りませんでした。それはつまり、今年は「体のもう半分」、つまり自身の身体を捧げるということになります。この時には一葉は巫女の代替わりと自身の死を覚悟していたのです。

 口噛み酒を飲んだ後、瀧の体の三葉は荷物だけ置いて頂上まで出てきてしまいました。このとき、三葉は大切なものは何も置いてきていません。また、瀧も再び三葉の名前を忘れた後で、御神体のところまで荷物を取りに戻ったでしょう。そのときも、此岸に戻るときに何も置いていかないことになります。また、二人がお互いの姿を認識したときも、三葉は瀧の体で口噛み酒を飲んで戻ってきてしまっており、三葉も此岸に戻る際に「体の半分」を置いてこなかたったことになってしまいます。

 瀧が組紐を三葉に返したために「結」が解けたというのもありますが、以上の代償としても、瀧と三葉は揃ってお互いの名前とそれに関する記憶を差し出すことになったのではないでしょうか。

 瀧は記憶がどんどん消えていることには気付いています。御神体の前に来た時には、何かを差し出すとなればもう記憶が全て消えるだろうと薄々感じていたのでしょう。なので、最後は名前を書くのではなく告白するしかなかったのです。


5.三葉の父の心変わり

 一葉の家には、遺影は少なくとも5人分ありました。大火で家は焼けているでしょうから、それ以降の200年でこれだけ代替わりしていることになります。二葉は2人を生んであまり年を取らずに病死しています。すると、一葉の前にも2~3世代いると考えられ、おそらく画面に映っていないところにも遺影があったのでしょう。

 宮水家の女性(巫女の後継者)は、瀧と三葉のように、昔から子供の頃に誰かと入れ替わる能力を持っていることが示唆されています。男性もその能力を知っており、三葉の父もそれを腫れ物に触るように扱っていました。一葉の頃から、見た夢はしばらくすると忘れてしまう性質だったようです。周りからしたら、前半で描かれていたように、憑き物に憑かれたように見えることでしょう。

 さて、三葉の父は、中身が瀧のときに三葉に胸倉を掴まれ、そのとき三葉が入れ替わっていることに思い当たります。そして、三葉が戻ってきてから再び会った時には、三葉であることを知ってなお三葉が避難するように言うので、はっとして心変わりします。その先に何があったかは映画では描かれていません。

 ここで父親の心変わりを描くべきだったという意見を私の回りで多く聞きましたが、私はその描写はなくても伝えることはできるだろうと考えています。

 父親と対峙したのは、瀧のときと三葉のときの2回です。瀧のときは、彗星が落ちるので避難するよう伝えましたがだめでした。しかし、その後、彗星が割れて落ちてくる気配を見せるので、それで父親は瀧が入った三葉をやや予言者扱い(信用したというと言いすぎなので)することになります。そこで真の三葉が本気の目で父親に語ることで、父親の心が動きます。これは、1回では駄目だったのです。一度瀧が中身の三葉が現れて予言できていたから、真の三葉が父親を説得できたのです。瀧が中身の三葉は「三葉なら説得できてたのかな」と言っていますが、三葉一人では駄目だったと思います。2回の対峙が伏線と伏線回収になっており、不足はしていないと思います。喧嘩していた父と娘がお互いを理解する瞬間です。

 ところで、父親は二葉の死で糸守を飛び出して東京に行っています。そして政治家になって糸守に戻ってきて腐った権力者に堕しています。父親はなぜ政治家になったのでしょうか。そしてなぜ糸守に戻ってきたのでしょうか。


6.入れ替わりは他にもあった

 入れ替わりをするのは、作中で登場する人物では、一葉、二葉、三葉、四葉の四人です。三葉は瀧と入れ替わっています。さて、一葉、二葉、三葉、四葉が入れ替わった相手は誰でしょうか。

 四葉は、8年後にツインテールで高校の窓の外を見つめる描写で登場します。この時高校2年生で17歳で、8年前の三葉と同じです。おそらく、この前後で誰かと入れ替わりを経験すると思います。また、一葉が生きていれば89歳で大往生ですし、先述の通り巫女交代を行ってしまったので、一葉はおそらく亡くなっていると考えられます。

 ここで、先ほど解決しなかった疑問、三葉の父親がなぜ政治家になって糸守に戻ったのか、について考えます。もちろん娘を置いて出て行ったからというのはあるでしょうが、神社の跡取りにならずに飛び出したとあっては、それだけではなかなか戻れないと思います。瀧が御神体の前で口噛み酒を飲んで三葉の過去を見てしまったときを思い出してみると、二葉のことを「守ってやれなかった」と悔いています。もちろんそう思う気持ちもわかります。しかし、病死でこれは何か別の意味がないでしょうか。

 父親が、二葉が死ぬことを先に知っていたとしたらどうでしょうか。すると、若い頃の父親が、一葉か二葉か四葉と入れ替わっていたと考えられないでしょうか。入れ替わりが終わり、二葉や糸守を隕石から守らなければならないという思いだけが残っていた。すると二葉は隕石ではなく病気で死んでしまい、せめて政治家になり戻ってきたが、二葉を失った悲しみが消えず、腐った政治家になっていった。そして、入れ替わった三葉と真の三葉を見て、忘れていたものを思い出した。こう考えたらどうでしょうか。すると、父親がはっと驚いたのは、記憶がほとんどないながらも糸守を守るとはこのことだったのかと漠然と気付いたのであり、即座に非常無線で避難指示を送る決心ができるのではないでしょうか。

 父親が3人の誰と入れ替わったのかはわかりませんが、三葉の計画を理解して町民を避難させたとなると、全てが終わった後の世界を見ている四葉と入れ替わっていた可能性が3人の中では一番高いような気がします。


7.スタッフの名前

 偶然でしょうけど、スタッフの音楽ディレクターか誰かが「四宮」さんで、”宮”水神社で一葉から”四”葉まで、という意味でとても縁を感じました。


8.御神体の由来

 第一の糸守湖は隕石湖であり、第二の糸守湖も隕石湖です。御神体がある山はクレーターもしくはカルデラのようになっていますが、なぜここに御神体があるのでしょうか。

 この御神体が御神体たる所以。この御神体が町からだいぶ離れたところにある理由。大火で消えた資料の中にそれがある理由。御神体の洞窟の天井に1200年前の彗星の壁画が描かれていた理由。

 御神体周囲の窪地がクレーターなのかカルデラなのかというところですが、今回はカルデラであるという立場に立って考えたいと思います。すると、この窪地は、1200年前の彗星衝突時に大規模な山火事が発生し、人々が避難した最後の砦だったのではないかと思います。環状の山頂には草木がないので、山火事が内側まで下りてくることもなく、二酸化炭素も溜まりません。飛騨は山に囲まれているので、さすがに山越えはできず、その窪地に向かったのでしょう。窪地には草木や水があり、人が生き延びることができました。その教訓を生かすために、窪地の中央に祭壇を作り、また彗星が落ちても避難できるようにそこを後の世に引き継ぐことにした、それが彗星の壁画と御神体の所以と考えられます。宮水神社は、水の神を守る神社です。三葉の名前の由来もミヅハノメ(水神)とのことです。これは、山火事から人を守るという理由がかなり大きいでしょう。

 水神なので、酒を献上します。特に、食事や酒造を米に支えられているので、口噛み酒を供物にしているのでしょう。飛騨は絹の組紐が特産で、絹の製造、つまり養蚕にはきれいな水が必要です。このことも、宮水神社が水神を祀る理由になっているのでしょう。


とりあえずはこれで終わりです。小説版もぜひ読んでみたいです。

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2016.09.12 01:28 | 未分類 | トラックバック(-) | コメント(1) |